
「考現学入門」 今和次郎(ちくま文庫)
■都市の風俗を「路上観察」した本。絵がいっぱいある愉快な本ですから、活字が嫌いな貴方もぜひ。(現在だと、路上採集は太田垣晴子さんが!)
早稲田大学の教授だった今和次郎は
1925(大正14)年 5月 東京銀座で、初の考現学調査をしています。
1925(大正14)年、翌年はもう昭和!その頃の銀座を歩く人々の着物姿の統計は、とっても興味深いのです。例えば女性の着物についての観察だと、↓こんなことがわかります。
◇着物姿の人が99パーセント。
洋装はたった1パーセント!洋装の人は目立つから多く感じるのだそうです。
◇着物の柄は9割以上が縞と絣
花模様、みたいな人が少ないんですね、ビックリ。
◇115人中、112人が下駄。草履は3人
草履が少ない!天気の悪い日の統計なので、よけいに下駄率が高いそうです。
◇約7割の人が無地の半襟
大正時代って、刺繍・柄半襟ってイメージだけど、意外。
◇また女性の歩き方として
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内股 |
まっすぐ |
外股 |
| 老年 |
8
|
4
|
0
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| 中年 |
25
|
10
|
4
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| 青年 |
13
|
5
|
4
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とあります。昔ほぼ全員が着物を着ていた時代にも、内股じゃない人がけっこういるもんですねー
。ことに、若い人だと内股:非内股が13:9。
ただし、これは「銀座の統計」です。
当時の銀座というのは日本の中でも非常ーーーーーに特殊な地域。
また銀座には 独特の歩き方をする花街→■の新橋が隣接しています。(吉田健一「東京の昔」によれば資生堂パーラーには新橋付近に住んでいる芸者衆が目立ったそう。)
この統計では、日本全国の歩き方を推測することはできないと思います。他の地方や、労働が求められる地域では内股と外股の比率が大きく違っていたのではないでしょうか?
70年代のNHK番組の再放送で、沖縄の方のおばあさん達が数人歩いているのを見かけましたが、全員が外股でした。着物を着てビシッと背筋を伸ばして。(同様の歩き方を「岡本太郎の沖縄」でも見ることができます。)
■ちなみに筆者の今和次郎は、内股に疑問をもっていたようです。年寄りばかりではなく、若い人にまで内股が多いことについて
「これは体育その他の方面からよろしく考えていただかなくてはならない問題だと思います」
と書いている。
■私は難しいことはわかりませんけど、 「内股か、外股か」は「背が高い、低い」「色白・色黒」「ひとえマブタ、ふたえマブタ」「天然パーマ・直毛」「走るのが速い・遅い」のように、先天的な要素や環境の影響も強いはず。とすれば“どちらが良いか”というよりは、その人の個性、と考えてみるのはどうでしょうか…☆
(故・高田喜佐さんが外股でサラリと着物を着ていたのを記憶している方も多いことでしょう。)

つま先が内にむく A子さん、つま先が外にむくB子さんが仲良く写
真におさまっている。(この本から拝借しました)
【以下、関連話題】
■柳田国男は内股を「美女の嬌態として認める」風習を、おかしな話しの例としてあげています。桃山時代の女性は外足でサッサと歩いていたらしい。
詳しいことはこちら→
■明治の日本人の姿を生き生きと描いたフランス人のビゴー。彼の絵の女性のつま先は、内側をむいていません。ビゴーは日本人の風習(ヤンキー座りなど)をオーバーに、茶化して表現します。もしも
一般の女性が「着物で内股」だったら、極東の島国の珍しい光景として注目したはず。決して見逃すことなく、大喜びで誇張して描いたと思うのです。それを描いていないということは…。
詳しいことはこちら→
またビゴー素描集がそのまま動きだしたかのような、「明治の日本」(明治30年から明治32年
フランス/リュミエール社撮影)。一般女性が歩く姿を正面から撮影した映像は、つま先が内側をむいていません。彼女達の着付けはいわゆる「裾すぼまり」ではなく、広い歩幅でグイグイ歩いているのも印象的でした。
■内股で歩く職業、それは芸者さんでした。大岡昇平の自伝「少年」には、内股歩きをしないことで過去を隠すお母さん(元・芸者)のエピソードが出ています。詳しいことはこちら→

■↑↑ 戦前の人気漫画家、田中比佐良は、「涙の値打」(昭和4年)というイラスト入りのエッセイ集で「私は芸者などによく見る内輪な歩き方が嫌ひです。」
と書いています。プロだから「嫌ひです」といいながらも綺麗な芸者さんの絵を描いているのですが… 詳しくはコチラ
■ついでに「ロングの巻きスカート」を日常に着るアジアの国の歩き方をネットで調べてみました。
ブータンとミャンマーです。どちらも女性は内股では歩かないようです。
私は、偶然この2つの国にいったことがありますが、とてもエレガントでした。
ブータンの女性達はこういう感じや、こういう感じでした。