【戦争と、みりたりーファッション】

 



昭和12年(1937)上流階級向け雑誌のミリタリーファッション特集より。「もおど・みりてえる」つまりモード・ミリテール…という見出しです。

この女性の服は「ロシアの軍服を思わせるコンビネーション」という説明がついていました。

これもミリタリーファッション特集のページにありました。半襟に何かの刺繍がしてあります。何の刺繍だろう?

答えは下に↓

刺繍の全体図です。

《「空襲模様半襟」(三越)

右「爆弾投下」 左 「夜襲」
いち早くシナ事変を反映してゐます》


とのこと。
やだよ、このネーミング…

同じ号の違う見出し。
左下のマークが…
(まんじは、卍)

■「昭和8年はデパートに商品はあふれネオン輝き、ダンスホールは満員の好景気だった」「それは昭和14年まで続いた。14年はノモンハンで大敗した年だったが、国民はぼんやりとしか知らなかった」山本夏彦(大正4年生)「世は〆切り」文春文庫から

もしこの文章の通りなら、昭和12年 発売の「空襲模様半襟」も、ネオン輝くデパートで売られていたのでしょうか。たった8年後の昭和20年、こういうことになるのに。

■この半襟の掲載されていた上流階級向け雑誌(今でいうと家○画報みたいな感じ?)は、この号あたりを境に、グイッーーーと方向転換しているようです。

それまでひたすら豪華でアートで・豪華でアートで・豪華でアートで、浮き世離れした内容だったのが、たった2.3ヶ月の間に一気に変化していて…防空頭巾やモンペ・日章旗の作り方、出征時に必要な支度、といった記事一色に。 その変わり方のあまりの素早さに、ギョッ。


【着物の改良】

昭和16年(1941年)のアサヒグラフ記事です。着物の美しさを損なわず、近代的に改良するこころみ。これには厚生省も関わっていて、帝国ホテルで新作の発表会とか、しています。

ずいぶん前から、こういう努力や工夫が続けられてきたんだなあと思うと同時に、この手の改良って、わりと定着しにくいものなのかにゃー?とか、思いました。

「洋裁家が提案した和服はこうなるといった作品で、たもとは短く、帯は幅の狭い5尺にも満たないものである」丈が短いのが特徴。足首、でています。

鏑木清方随筆集(岩波文庫)には「衣服改良のとき、いの一番に非難の的になる帯」とありました。昔からお太鼓って評判悪かったのでしょうか?

「今日の和服は 既に完成の域に達しているので、これを改悪するよりはむしろ上代衣裳にさかのぼり、少しの不自然さもなく、現代の人が着用できることを頷かせた」 ・・・という作品が左。帯や長襦袢がいらないのが特徴だそうです。

 

和服に、洋服の活動的なところを取り入れた新生活服。

体格のよいモデルさんです・・・


【アップリケや刺繍で、古い服を新鮮に】

上の朝日グラフと同じ昭和16年(1941年)雑誌「婦人倶楽部」のお正月付録「戦時下の被服対策」より。 お太鼓の形がフニフニ。 刺繍や芋版で、服をリフレッシュさせましょう、という提案。

古い帯に薔薇の刺繍を。