表紙

 

2003.7

明治末期生まれの90才代半ばの女性に、戦前の着物のことを聞きました。全員が着物を着ていた時代にすでに大人だった人。 21世紀は敗戦の年に子供だった世代が70才代を迎えていますが、この人の場合は、さらにその親の世代。戦前の昭和の豊かな一時期を「成人後に」享受できた人です。

1960年代からつい2001年まで現役で働いていたので(伝統のお稽古ごとの先生、生徒さんドッサリ)、質問するとユーモアのある素早い返事がかえってきます。

都心に住む比較的裕福な人(ご主人は日本橋で会社を経営する社長) の思い出なので、日本全国に通用するお話では無いかもしれません。

一般に本などで出回っている着物のアレコレは、どちらかというと着物姿が即、収入につながる方・いろんな意味で百戦錬磨の方の研ぎ澄まされた着物話が中心でした。女優さん・夜の接客業・伝統芸能の人・呉服屋さんなど。

一方、今から書いてゆくのは、着物姿が収入に結びつかなかった人の思い出話。今でも着物姿で商売(勝負)するわけじゃない、いわゆるシロウトさんは多いと思いますので、ちょっぴり参考になれば、と。

※↓↓これからの文章、もしかしたら細かい聞き間違いがあるかもしれません。


■着物と季節

「4月は袷。5月になるとセルを着ていました。セルは今でいうウールです。戦前は5月にしか着ませんでしたが、終戦後はいつでもウールを着るようになりました。だってどの人も、戦争で着物がどこかにいっちゃったんですから。 無いものはしょうがないよねえ。」

「家の中では衣替えに関係なく、臨機応変に着ていましたが、お出かけとなるとキチキチッと暦どおりに着物を変えました。間違ったって何か言われるわけじゃないけど、守らないと周囲から目立ってしまうんだよね。だから単の季節になったら寒くたってちゃんと単を着て、そのかわり下に着込んで調整してました。」

(↑↑私の感想・このキチッとした風習は、まだヒートアイランド現象が無い時代のモノです。現代ではそこまで衣替えにがんばらなくても… )

「夏の夜は、今と違ってとっても涼しかったです。九段下や神楽坂には夜店がずらっと出てね。浴衣着て団扇もって子供達と行くのが楽しみでした。でも浴衣と帯なんて、昔が涼しいから出来たんですね、きっと。」

「夏の昼は暑いので洋服でした。姪が洋裁学校に通 っていたので、アッパッパを作ってくれたのです。でも出かける時はがんばって絽を着ました。だけどもう、汗ビーーーッショリでした。」(注:この「出かける」というのは、ゴージャスで公式なお出かけを意味しているようでした。社長夫人なので。

「ずっとお家にいるような職業の人は、絽や紗を着てなかったですね。持ってなければ、仕方ないですもん。」

■着物の柄と、季節感

「正式のおよばれの時には、季節の花と着物の柄をあわせるようにしましたが、普段着はそれほど気にしませんでした。」

「昔は服が全部着物だから、着物にだけ、お金をかけることができたけど、最近の人は洋服と着物と両方買うんだから、お金だって大変ですよ。季節にあわせた着物なんて、言っちゃいられないでしょう?だからなるべく季節のわからないものを買うといいよね。」(注: 言っちゃいられない、しちゃいられない、というのが口グセの人なんです。)

「むかし、よそゆき用の白い絽の帯に絵を描いてもらったことがあって、その時、菖蒲を描かれちゃったの。これには、困った!私が絵の柄を指定しなかったのが悪かったんだけど。」

■髪型

「私は病気したことないけど、若い頃からすごい肩こりでした。日本髪で高い枕なんて、とても出来ない。髪型は、襟足につかないくらいの短さにしてパーマをかけていました。まだパーマが珍しい頃だったけど、私は、新しいことはやってみるんです。新宿の美容院でした」

「日本髪を結った頭がかゆくなったら、カンザシを抜いて、静かにかきました。わーっとかくと、髪が壊れちゃうから。」


本文とは関係ありませんが、戦前のカラー画像です。詳しくはこちら

■着物と年齢

「母親になると、落ち着いた感じの着物を着ました。娘時代と同じような着物を着つづけることはありませんでした。

ムスメ時代の着物は、人にあげてしまうか、自分の子に残すかするのです。私は子供が出来た頃には、よく紫紺の無地をきていました。私の着物はみんな無地でした。」

■浴衣

「浴衣は衣紋をぬきませんでした。家では素肌に着ていましたが外出するときは汗とりのために、サラシの襦袢を着ました。サラシの襦袢は手製でした。そういうの、売っていなかったんですよ。博多の半幅帯をあわせました。」

「 浴衣は時間帯で色をわけるというのはありませんでした。昼も夜も自分の好みの柄をきていました。紺でも白でも。」

「浴衣は普通は8月いっぱいなんだろうけど、単みたいなもんだから、9月に着てもいいんじゃない?」

■綿入れの着物

「冬は今と違ってすごく寒かったので、綿入れの着物を着ました。おはしょりもして。綿入れの着物はうすい綿が入っていました。ドテラの綿みたいに厚くないだから、そんなに太ってみえないよですよ。」

「 綿入れの綿はカイコからとった真綿で、着ているうちに布のすきまから綿が出てくるんですよね。そのつど切っていました。綿入れの着物は普段用で、よそゆき用ではありませんでした。」

■「粋」について

私は、よその人から「粋ですね」と言われたくないなあ。 お友達をほめる時も「粋ですね」とは言わない。ほめる時は「素敵ですね」とほめるのが一番じゃないですか?

そのへんの奥さんは、1人の人に好かれればいいんだから。ご主人が野暮ったいのが好きっていうなら、別 に野暮ったくていいんですよ(笑)。それにあんまり奥さんきれいだと、(よその男に)とられちゃうよ。

■着物まわりの小物等

 「ヒザの下くらいまである、長いショールが流行していました。みんなショールを蹴りながら歩いていましたね。綺麗でしたよ。なんでも流行しているものは綺麗ですね。今、若い人の頭が赤いのも、流行しているから綺麗。」 (私の感想・21世紀、自動ドアが沢山あるから長いショールは危険だと思う! )

「戦前は半襟に凝りました。すごく綺麗な刺繍の半襟が売られていたんです。銀座の、ゑり円によく行きました。ゑり円、っていうくらいだから、襟がいっぱいありました。でも、それは外出用。普段用の半襟は汚れが目立たないように、色や柄がついていました。

家(九段下)から銀座は、子供達と一緒に歩いていきました。皇居のお堀を眺めながら歩くのです。

「着物を沢山買う人は、呉服屋さんが家に来てくれました。少ししか買わない人は自分で呉服屋さんに出かけていきました。」

■メリンス(モスリン)

「メリンス(モスリン)は薄手のウール。セルはそれより厚いウール。 メリンス(モスリン)は、お腰、長襦袢、うそつき襦袢の袖にしました。」

「メリンスは反物と切り売りがありました。反物は着物になりましたが、切り売りはお腰用でした。子供は大体メリンスの着物でした。」

■動作

「芸者さんは内股で歩いていました。あの人達はそれが仕事なんです。芸者は置屋に“置いて”あるんですから。いつも綺麗にしていないと、命に関わるんですから。

でも私たちは着物で何でも家の用事をするから、普通 にまっすぐ歩いていました。それに私なんかがシャナリシャナリしたって、お金もらえないしね(笑)」

■普段着の手入れ

「普段着は銘仙か木綿でした。汚れると、しぼったタオルみたいなもので拭いて。普段着の“洗い張り”は自分でやりました。石けん・ブラシ・ぬ るま湯・洗濯板で。」

「銘仙は、ぬいこんであるところ(縫い代)をためしに洗ってみて、色が出ないようだったら自分で洗い張りしました。色が出るようだたったら染め物屋さんに頼みました。そのほか、よそゆきを洗うのも染め物屋さんに頼みました。」

「半襟は、絹。昔はぬるま湯と石けんで洗っていました。今はアクロン。生乾きの時に、アイロンをかけるとキレイになります」

■ガソリンは血の一滴

主人は、日本橋で会社を経営していたので、家から日本橋まで車で送り迎えがありました。だけど、戦争がすすむにつれ、「ガソリンは血の一滴」といって、それが出来なくなりました。


★皆さんも、身近な年配の方に、お話聞いてみてくださいね。こういう↓昔の写 真や絵を一緒に見ながらお話すると、「ああ、そういえば、こんなこともあった、あんなこともあった」ってイモづる式に記憶がよみがえりやすいみたい★


祖母のアルバムから、イメージ画像。本編とは関係ありません。時代が似ているので載せてみました。
昭和10年くらいの東京駅。昔の東京駅は屋根が丸い。 画像クリックで拡大します。

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