「帯で3:7 (写 真Special Thanks to ひしょさま)

この項は、生まれつきモデル体型の人、は読み飛ばしてくださってけっこうですよー

■着物の長所の一つに「ヒールの高い靴をはかなくてもいい」というのがあると思います。洋服というのは、なんだかんだ言っても「ヒザ下が、細くて長〜い人」「腰の位 置のキュッと高い人」を前提として作られていますよね?

だから洋服のデザインによっては、ヒールの高い靴を購入し、「ヒザ下が長い人」のフリをするはめに。

足を接ぎ木、というか、増量するわけですな。

昭和10年頃のモダンガール。ウエストは非常に細いんだけれど。
だけれど。だけれど。だけれど…。

■しかし……ヒールの高い靴には問題点が2つほどあります。ひとつは健康面 ハイヒールをはいた状態って、お家にたとえると、床が激しく傾いているのと同じようなもの。家の床が30度〜40度に傾いていたらどうでしょう?近い将来、柱にヒビが入り、屋根瓦がバラバラッと落ちてくるのは火を見るより明らか?!もし、橋の足なんかがグラグラしていたら絶対に渡りたくない。

まして、精密な人間の体ですもの、将来、目に見えぬ 故障があちこちにでてきたら、かなりイヤかも…。

もうひとつは、見た目問題。ヒールの高い靴をひきずって、フラフラ、ズルズル、苦しげに歩いている人を多く見かけますけど、これがとっても可哀想なのです。まるで「生きているのが精一杯!」といった風情 。ことに少女の多い街は「苦しげに歩く人コンテスト」をしているのではと思えるほど。

たまにスッスッと威勢良く歩いている人をよく見ると、小柄な外国人だったりしてね。

■その辛そうな歩き方の理由のひとつに、「日本人は和服から発達したあるき方をしている」というのがあるのかもしれません。(←←これは、《吉田健一「日本のよさ」》にあった言葉。決して日本人を非難して書いているわけではなく、日本人の「動作の歴史」みたいなものを淡々とつづった文の中にありました。)

たしかに、アジアの空港なんかを観察すると、日本人の女の子はジーンズ姿でも微妙にシナシナと歩いています。他のアジアの女の子は足をけりだすように歩いているような気がする。(関連話題・冬ソナの外股歩きと正座とあぐら

こういう日本人の女の子が「ヒールの無茶な靴」を履くと「生きているのが精一杯な歩き方」っていうことになるのでしょうか?(なんか、適当なこと言ってますね!スミマセン)

■そんなこんなで、ヒールの高い靴を履かなくっても何となく恰好よく見える服、つまり「着物」が、ちょっぴり見直されてもいいのではないかなあ、と思うのです。例えば次の文章を見てださい。

「日本の若い婦人には、洋服よりも、和服を着せたいと思います。 若いモデルなどを見ても、どうも、乳の下あたりが間のびしていて不満ですが、そこを帯という布でクルクルきちんと巻いて恰好を付け、丈の短い全身の色彩 を3分7分に分けてゴマかしたところなんぞ、実にうまい要領じゃありませんか。」

うう。けっこう意地悪な意見です。
これは、戦前の人気画家・田中比左良のエッセイ集にあった文章。(「涙の値打」昭和4年発行)

画家の目は容赦ないなあ。乳の下あたりが間のびって(グサリ)。これも個性ですから。コーギーだって間のびして可愛いじゃありませんか!ただ、間のびした人でも帯をまけば、上半身3・下半身7みたいな割合に見える、っていうのは、ちょっとイイですね。

「上半身3・下半身7」という数字は、思えばハイヒールをはいた時に、皆さんがぼんやりと理想にしている割合でもあります。で、着物の場合、最初から3:7に見えている(らしい)わけですから、あら!これは好都合!

これからの時代は、ぜひ着物もお洒落の選択肢の一つに入れていただきたい…。
そして健やか&あでやかに着飾ってほしい、と思うのです。

昭和10年頃。着物でキリッと「上半身3・下半身7」

 

あだっぽい3:7。

以上、本で読んだことや、自分の仕事(健康関係)でいつも感じることなんかをマゼて書いてみました。写 真は


■余談■1964年の映画で森繁久弥のセリフ…

「お前、洋服、似合うのかあ?徳利(トックリ)みたいな脚してさあ。」 森繁が普段から着物ですごす美女に言った言葉です。

ところで、ファッション雑誌って「日本から徳利(トックリ)脚の人は絶滅した」「日本の気候はヨーロッパと同じ」ということを前提にしていませんか?


リアルな足。ホント徳利(トックリ)みたい。夕方の足のむくみが、容赦なく描かれてます。雨の日にスカートをまくりあげたら、ぶっとい足が出てきたモガ。