2005.夏

表紙

 


昭和初期の人が考えた冷房の未来図。アメリカの「世界風会社」に申し込むと
各家庭にアルプスの冷たい風を送ってくれるのです。

と、かつて冷房は「夢物語」だったわけですが
戦後も、しばらくの間、冷房は非日常の贅沢だったようです。
参考・日立のエアコンヒストリー



昭和5年、大阪のカフェテリア(戎橋の南海食堂)です。
自分で食事を運ぶのに戸惑う友人を
「 これが、米国で大流行のカッフェテリア式食堂さ
女給にチップも要らないし、文化的で経済的だ 」と説得中。

昭和20年ころになると、カッフェテリアはもっと進歩するな。
食堂の横 には畑や牧場があって、客が喰うだけの材料を
畑から抜いたり、牧場から牛を引き出してくるようになる。
そこで、料理は徹底的に安くなるね」など、

気楽な未来予想図を描く昭和初期の青年達☆

しかし、この絵からたった15年後の昭和20年の日本は
彼らの予想とは全く違う展開に……。



■「小説で読めば 苦学は面白し」という川柳がついていました。
せんべい食べつつ、だらだら読書。

■ほころびとしての貼り紙
増殖する貼り紙の数々。
新しいモダンな駅でも「 切符自販機の前が、実家みたいになっている」



■半裸で奉納画を描く画家。お弟子さん?に扇がせています。
「おいおい、そんなにやけに煽るなよ。
金粉が飛んでしまうよ。 金粉は、お前、高いんだぜ」

いかにも暑そうです。とはいうものの、この絵が描かれた時の暑さは
21世紀の暑さとは質が違ったことでしょう。

「人為的活動による温暖化なのに、 人々は 自然のことなので仕方ないと
諦めているかのように 見えるのはなぜ?」
(坂本龍一ブログ)




京都駅の「風雨 強カルべシ」の看板です。
台風の時は、こういう表示が出たのでしょうか。
「赤切符 長蛇の陣で押し進み」という川柳がついていました。

赤切符とは、3等列車の切符。
赤切符は昭和35年(1960年)国鉄運賃法改正で
廃止されたそうです。



「勇ましい 最期を話す 気の毒さ」という川柳がついていました。
左のお爺さんの手にハンケチ(手ぬぐい?)が
ギュッと握りしめられていて…




昭和3年頃の言問橋。「永代・清洲・駒形・言問と震災後、立派な橋がいくつもかけられた。代赭色の隅田川の水を跨いで、近代建築は威風堂々とあたりを圧している」

この本が出た当時(昭和3年)はのどかだった橋が、たった十数年後の昭和20年、凄まじいことになるとは。。。