2004.4月

表紙

 

「オカメ美顔術」。エステみたいなものでしょうか。まぶしい日射しと、チャラチャラした若い娘!(華奢な腕時計が可愛いですね)

この時代のmanngaで1番楽しいのは、流行に飛びつく女の子を、愛をこめて茶化したものだなあ!と思います。たとえば、洋装をしたがる子とか


この娘も、美顔術。「持てあまし候なれど美顔術」という川柳つきです。樹木希林さんのフジカラーCMっぽい? 戦前らしい優雅な模様と、たっぷりした着付けです。


1954年、今からちょうど半世紀前の着物ショウのパンフレットから(京都府後援、新橋演舞場等で開催)

イヤリングもしていて、無国籍なロングドレスのよう。右の着物は「春のプロミナード」という名前で、ダンスや観劇に。左のは「人間進化の発起点である大洋」への憧れを近代的に表現したもの(…という説明文がついていました)

こういうスタイル、ともさかりえや「りょう」みたいに細長ーーーーい人がやったら、非現実的でキレイかもしれない…(見ている分には!)

*戦前のグラマー好きなマンガ家の絵と比べてみてください*


同じパンフレットにのっていた、非常にスリムなご婦人。細い胴体のまんま、エイとばかりに帯をしてますね。この人も、細い



「2代目の伊勢屋近江屋 初かつを」(古川柳)

当時の空気がビシビシ伝わってくるような絵。女の人達の体格もリアルー。キモノといえば、夢二……のイメージがありますが、昔の女性の写 真を見ると、伊達公子さん的な方もけっこういますよね。今より体力仕事が多いから、筋肉もしっかりついていたのでは?

森茉莉の貧乏サヴァラン「昔は魚屋の経木を見て、“平目のおさしみ”と、一言いえば、刺身の皿のほうでひとりで歩いてきたようなものである」の魚屋さんって、こんな感じなのでしょうか。


先日、この絵を、戦前すでに成人していた女性に見せて、袖口の白いフワフワしたのは何か、聞いてみました。

すると、レースの袖口を見せるのがオシャレだった、という答えでした。(筒袖半襦袢の袖口のレース。この絵みたいにゴム入りのもあった気がするとのこと…)。吊革につかまった時も、レースが見えると綺麗だったんですって。

また薄手の絹スカーフを巻くのが流行ったそうで、この絵の襟にもフワフワ描いてありますね。


吊革の時にレース、こんな感じ?ちなみに、この絵の巨大帯留めは冗談で描いています。



この人も袖口からレース。


■埼玉県の古い街です。廃屋と植物と同化していくのって、ほんのり憧れてしまう。先日“某コメディアン、故郷の山奥に久しぶりに帰る”的な番組を見たら、 やはりお家が山に消化・吸収されつつありました。

「和の心に酔いしれろ」→で知った廃漁船の写 真を集めたサイト。木造の廃船にも植物がはえてしまって、味わい深いのです。


 

「肥船に まけず アヒルはさかのぼり」

京都新聞の宇治茶のページより、お茶と「肥船」

 「このあたりは昔からよい玉露や碾茶(てんちゃ)=抹茶の原料=がとれるんです。京都盆地最大の巨椋池(おぐらいけ)があったからです。」
「池の周りの葭(よし)は、覆い下茶に必要な葭簾(よしず)の材料になったし人糞を運ぶ肥船(こえぶね)は鴨川から巨椋の船着き場へ楽に入ってこられました」


女中さんが、ムスッとして洗濯中。(自分が休みの日は大雨だったのに、休みが終わったとたんに快晴だから。)

こういう「着物のスソをまくって、ガバッとしゃがむ」洗濯スタイル、当時どんなにありふれた光景であっても、写 真や記録には殆ど残らないような気がします。これとか、すごいしゃがみ方


洋風のワンコと、漢字の前掛け。丈夫そうな前掛けなので、たぶんマット用にあてがあわれているのでしょう。


ヒラヒラ着物で波打ち際をそぞろ歩く若い令夫人。大波に足をさらわれたところを、かっこいい若者が助けてくれました。

若者は「奥様、お気味が悪いでしょうが、私がひっかけてきた涼風亭の貸浴衣を着て、そのお召しものを干したらよろしいでしょう。」と親切です。

この様子を望遠鏡で発見したご主人、“淑女たるもの、見ず知らずの男の着物を借りるとは!サア、自分の着物を着て帰りなさい!”なんて、もうカンカン。

すると奥様は、「だって、まだ濡れ衣が乾きませんもの」。(……と、こういうオチがついていました・笑)


■ 後楽園の近くで、着物イベント4.3(土)まで


大正時代のmangaの描き方の本より、「女性の描き方」。

この作者はとにかくグラマー好きらしい。帯の下には「下腹のふくらみを見せなければならぬ 」 なんて断言し、ずいぶんお腹ポッコリに描いています。(笑

↓↓↓この作者が昭和初期に描いた絵はこんな感じ。完全に夢二美女の逆をいってますね。大喜びしている右の男性、それは作者自身です。