2003.12月後半

表紙

 

袖口から、モコモコセーターがはみ出ているブータンのお兄さん達。 かっこいい人は、はみ出ても・着ぶくれてもかっこいいですね。

斉藤美奈子さんの「戦下のレシピ」(岩波アクティブ新書)を読みました。「妊娠小説」は、妊娠を切り口に・有名小説を斬る、でしたけど、その要領で「お料理ページを切り口に・戦争を考える」本です。

戦争の本ってとっつきにくいけど、この本は、先輩が酒の席かなんかで、ざっくばらんに説明してくれるような感じ。

食糧事情を知るために、当時の婦人雑誌をビシビシ引用し、力強いツッコミも忘れません。いつの時代も、婦人雑誌は『精一杯がんばった上限』が出ているので、そこからかなり引き算すると、全体のレベルが見えてくるのだそうです。

戦争初期は、浮かれムードの漂っていた婦人雑誌ですが、戦争が長引き『負けがひどく込んで』くると、生き延び方を教える究極の『サバイバル読本』と化していく……その様子を、まるでジェットコースターのように、しかし冷静に、描いています。(戦争中の食については、個人の体験談はあっても、体系的に書かれた本はほとんど無いんですって。)

ただ、せっかくの内容なのに表紙がとっても地味!!新書だから当たり前ですけど。表紙もモノクロのモンペ写 真でいかにも難しそう!な印象なんです。もっと親しみやすい装幀で、多くの人がウッカリ買ってしまう、という風になればいいな。

ちなみに、斉藤美奈子さんがこの本を出したきっかけは、小学校時代に衝撃をうけた「暮らしの手帖96・戦争中の暮らしの記録」とのこと。暮らしの手帖、こころの底ふかく、沈んだのですねえ。


 

「観念をした気で 母のエレベーター」
お母さん、エレベーター怖いんですね。ムスメの「ちょっとお、母さん大丈夫かしら」という横目が可笑しい。

 


■北杜夫の旧制高校時代を描いたエッセイに、下駄 の鼻緒を手作りするシーンが出ていました。
普通の鼻緒じゃイヤで、なんと直径4センチ!のものを「どえらい苦心」ののちに作りだすというもの。その超・極太鼻緒は、実用にはまったく不向きで、何回も転んだり・ひっくり返ったりを繰り返すのですが、得意になって愛用していたそうです。(ちょっと前の厚底靴みたいだな。)

その他、帽子にも、しょう油と油をぬって、アンティーク感を演出してみたり。それが、旧制高校の「裏返されたおしゃれ」だったんですね




楽しい避暑旅行、山歩きも着物の裾をまくって。←今これは真似出来ませんけれど、こういう時代もあった、ということで。かつては着物で川遊びする人も…

■先日美容院で、婦人画報を読みました。うしろの方の白黒のページに小さい小さい昔写 真を発見。明治時代の婦人画報に掲載されたらしいもので(創刊は明治38年)、軽井沢の渓流で遊ぶ女学生達っていう写 真です。

すそをまくった着物女子が、せせらぎの中で15人くらいはしゃいでいて、ちょっと「和製ピクニック アット ハンギングロック」なイメージでした。でも残念なことに写 真が4センチ角くらいのサイズなんですよねえ。もっと大きければいいのになあ、と思いました。(小さいから「ピクニック〜」に見えたのかもしれないけど。)

■ご先祖様専用掲示板ができました




こういう古写真はこちらにも、アップしてあります

情熱大陸で森山直タロウさんが出ていました。掲示板に“森山直タロウさんは着物むき”と書いて下さった方もいたのですが、ホントにそうですねえ。ふつうの着物も似合うだろうし、上のミノを着用して、小雨に打たれているのもいい感じでしょう(笑)。着物むきと思われている男子は他にこんな人達も

このミノの構造と性能について、寺田寅彦は、「バーベリーのレーンコートよりもずっとすぐれているのではないか」なんて、ほめていました。

鏑木清方年表。
長生きなんですね!鹿鳴館完成(5才)した時も、大阪の万国博覧会 (92才)の時も生きてる!すごい。


東京の端にある日原鍾乳洞に行ってきました。鍾乳洞の中は蛍光灯がついていて、神秘的というより潜水艦の中といった感じをうけました。こわかったです停電になったらどうしようと思いましたよ。

鍾乳洞の中にあるツララみたいなものありますよね。あれの「下から生えてくるタイプ」を石筍といい、3センチ伸びるのに400年かかるんだそうです。着物の決まり事だ伝統だ、なんていっても、このタケノコ3センチの中ですむハナシも多いだろうな、と、しみじみ。

JR奥多摩駅(中央線の終点。多摩地区の人は、途中からフラッとのればいいわけだから、有利ですね!)から、バスが出ています。本数少ないけど。※鍾乳洞の中はヌルヌルしている上、急な階段もあるので必ずすべりにくい靴で。

鍾乳洞とは関係ありませんが、これは丸ビル(東京駅南口)の脇にある古い丸ビル(新丸ノ内ビルヂング・1952年)。ここも高さ198mの超高層ビルに建て替えだそうです。ひー。…今のうちに見ておきましょう。



■この綺麗なお姉さんは何をしているのでしょうか。


■Weekly Teinou 蜂 Woman で知った国宝・「病草紙 息の臭い女」 。左の人の「ププッ」っていう表情も可笑しい。あ、皆さん立て膝ですね〜。「我々が今のようなペチャンコの座り方をはじめたのはどうも3〜400年より古くはないらしい」(柳田国男「木綿以前のこと」より)

平安時代後期(12世紀)京都国立博物館蔵。

■江戸時代の、とってもニョロニョロした絵。サムライもニョロニョロ〜。(東京国立博物館より)


 

■以前、アップした絵ですけど、冬になったので再登場してもらいます。日比谷図書館のストーブの前に陣取り、官能的な小説にヨダレを垂らしている男子の皆さん。着物にマフラーぐるぐる巻き。

この着物といい、この状況といい、本当に「等身大〜」っていう感じがしませんか。でもこういう愉快な光景って、まず写 真に残らないんですよね。それがちょっと残念!

■江戸時代の、とってもニョロニョロした絵。サムライもニョロニョロ。(東京国立博物館より)


衣紋ぬかない派?の瀬高嬢。瀬高嬢についてはこちらにも。

昭和10年頃、祖母と祖母のお姉さん。
右がお姉さんですが、衣紋をぬかず、なんかミッシリ(笑)


「サザエさんうちあけ話」を再読しています。子供の頃は、「ふーん、大人だから、会社(姉妹社)くらい作るだろうよ」なんて軽く読み飛ばしていたけれど、今読んでみたら「あんたたち、すごいっ!」と叫びたくなりました。

だって九州の普通のお嬢ちゃん達が、終戦直後の混乱の中で、いきなり出版会社作っちゃうんですよ。「窓からのり、窓からおりる」超満員の汽車で、東京・九州間を6往復して。

しかも、そのパワーの源が、お母さん(クリスチャン)の強烈な信仰心っていうのがすごい。お母さんは神様を信じきっているので、心配事ゼロの人。キモの座り方といったら、もう半端じゃありません。(町子さん自身はノンビリとして、全く野心がないのも可笑しい。)

この本では戦争中の苦労話でさえ、元気に描いてあります。すべてのエピソードの後ろに「てへっ★」(by再現ドラマの女)がくっついているイメージ。だけどその描き方が逆に、こたえるというか…ぐッときてしまうんですよねえ。


ブータンの「着物風の制服にタートルネック」の小学生。以前もアップしましたが、冬になったので再登場してもらいます。服の色とタートルの色が調和していますね!ガイドさんが急によびとめたので困った顔をしています。こんな小さい子だって毎朝着てるんだから、日本の大きなお兄さん達も着物、着てみましょう!?

(ブータンの方が着付け方難しいと思います。プリーツを作りながら着るから。着付け方法はこちら。

■先日の日記で戦前の雑誌の「空襲模様の半襟」にふれたのですが、1つギョッ!としたことがありました。

その半襟の掲載されていた上流階級向け雑誌(今でいうと家○画報みたいな感じ?)が、昭和12年に、グイッと方向転換しているようなのです。

それまでひたすら豪華でアートで浮き世離れした内容だったのが、たった2.3ヶ月の間に一気に軍国風になっていて…防空頭巾やモンペ・日章旗の作り方、出征時に必要な支度、といった記事一色に。その変身は一時的なものだったのか、その後ずっと続いたのかわかりません、きっとほかの雑誌でも同じことが…。とにかくその変わり方の素早さに、びっくりしました。



厳しい性格の瀬高嬢(身丈5尺6寸)と、穏やかな友人・凹井君。瀬高嬢のマントはスイカ(又はウリ坊)のようです。パラソルが優美ですね。

瀬高嬢のお仕事スタイル。チェック着物。


一本歯の高下駄 で歩く練習をする人
「この動き、アシモに近い」